さよなら、僕の永遠
『ぼくたちは何だかすべて忘れてしまうね』
失ったものよりも得られるものの方が大きい、って話はよく聞くけど、そんな都合良く感情に整理がつくわけない。
引っ越すんなら荷物は捨てなきゃならないし、進化を遂げたら昔の殻は脱ぎ捨てる、先に進むなら取捨選択をすべきだ、それは自明の理だけど、それが出来ないからぼくらは、溢れんばかりの大事なものを抱き抱えて、ここでうずくまっている。一歩一歩進むたびに、その手から大事なものがすり抜けて壊れてしまうから、前進も後退も、昨日も今日も明日も全部遠ざけて、ここで立ち止まってる。
ありきたりだけど、16歳になったら何でもできると思ってた。憧れてたアニメの主人公も、かっこいいと思った漫画の脇役も、大好きだったネットアイドルもみんな16歳だった。
彼女達が私に魅せた永遠は一瞬で、とても儚いものだった。だからこそ、美しかった。
彼女達は私とは遠く隔たれた空間にいつまでも生き続けている、今も死なない。私が死んだら、ようやく彼女達は私の妄執から開放されるだろう。
小さい頃は彼女達の歳に近づくのが単純に嬉しかった、少しだけ、彼女達になれた気がして。私も永遠へと近づけると思っていた。
今はそれが恐ろしい、だって私は永遠に16歳ではいられないから。
永遠は足早に去ってゆく。
恥ずかしい話、16歳でなくなるのが怖くて、17歳になるのが怖いってだけのこと、そのサイクルを受け入れてしまったら、私の時間は一気に加速するんだ、きっと。気づいたら、20歳になっていて、気づいたらおばさんになっていて、気づいたら死んでゆくんだ。それはとても恐ろしい。だから、私は、それに抗わなくてはならない、最後の最後まで、抵抗を続けなくてはならない、さもなくば、それをやめた途端に、きっと、これまでの時間の渦に飲み込まれてしまうから。
ねぇ、覚えてる、小学校の時は時間が経つのがひどくゆっくりだったね、緩慢としたぬるい時空にいたんだ、ふと、気づいたら窓の外が桜から緑に移り変わってたんだ、あの時の恐怖は忘れられない、私は初めて、季節を見逃した。
そう、放課後の教室が徐々に赤く染まっていく時間、覚えてる、一番前だった、気になる人の席からゆっくりと染まって、教室すべてが真っ赤になる瞬間。
あれらの体感速度はもう帰ってこない、私が12歳になる時にすべて葬り去られてしまった。
冷えたコンクリートを見つめ、遠くの幻影をつかめなかったそれからの私に、私は告げなければならない。
私は今の速度を、毎日を、愛さなければならない、過去ばかりを見つめて目の前にあるものを抱きしめてすらやれないのはひどく愚かだと、そろそろ気づくべきだ。
あの子に宛てたメールの一部
18歳になっちゃったら、パチンコ屋にも入れるし(行かないけど)ゲーセンも最後までいられるし(いないけど)なんだかんだで、今までより、私たちが望んでなくとも、急に大人になってしまう気がしてる、と、いうか、大人にさせられる、ような気もする。
だから、17歳はこれまでの最終防衛線だし、モラトリアムの終焉もきっと、近い。最後だからって無理に気張る必要は無いけど、(別に人生が最後って訳じゃあないし、私が勝手に言ってるだけだし)今までよりもずっと踏み出す毎日の確かさを大事にしていきたい、駆け抜ける日々に少しだけ目を止めて、今を再認識したい、そんなふうに思ってる。
17歳は最強の歳。
私は永遠の側を最速で駆け抜ける。
閉鎖的脳内フルカラー補正
また、一つ星が消滅してしまったのだ。
星が消える瞬間はいつも静かで、だから、いつまでたっても私はその一瞬を見逃してしまう。
もうじき終わるだろう、とは分かっていたのに、こちらへ届く光が前よりずっと弱々しくささやかであったのは知っていたのに、見ないふりをしていた。
いや、もしかしたら、もっとずっと前に星は消失してしまっていたのかも知れない。だってそうでしょ、星の光が私たちの元へ届くまでには何億光年もの時を超えてこちらへやって来ているのだ、私たちが見ていたあの光、あれはもう失われた光、だったのかもしれない。
星は死んだ。
私たちが求めていたものはとっくに失われていて、見えもしない、ただ、光だけを、その幻影を追いかけていただけ、なのかもしれない。
愚かしい、と一蹴されるに値する妄執である。
昔、当時ははるかに遠いと感じていた所にあるホームセンターに、何度か父親と行く機会があった。今となってみれば、さほど遠い距離でもなく、なんだ、あんなところだ、と思う程度の所である、脳内補正で美しい。
そこには、旧時代のアーケードゲーム機が数台あって、(当時からしても、旧時代である)、私は物珍しさに眺め、終いには、父親に一回やらせてくれ、とせがんだが、如何せん無下に断られ、一度もやる機会を得ないまま、気づいた時にはその機械は撤去されていたように感じる。
きっとそういうものなんだ。ひたむきに過去に価値を見出し、今までだけを賛美する、懐古主義であることは確かだ。思い出は美化され、星は消えたから輝き、アーケードゲームは一度も触れぬまま撤去されたから永遠のものとなり、全てはそこで時が止まり、私の中で未完のままいつまでも生き続ける、生き続けてしまう。
キミとは点々と明かりが消えた、放課後の学生食堂で、夭折したから天才になるのか、天才だからこそ、死すら意味を持ち夭折となるのか、って話をしたね。二人ともよく分からなくて、何度も何度も同じ話をしていた。
だけど、懐古主義であることは、その過去が失われたものだからこそ美しく映るのだ、と言いたい。私の瞳に永遠に映り込み、何度も眼を瞑っても消えることは無い、私には殺せない。いや、もう、誰にもその生を奪うことは出来ない。だって、もうここに実態はないのだから。
永久に幻としてそこにあり続けるのだ、きっと。
未来に興味が無い、って言ったら嘘になるけど、それでも私、やっぱり過去が好きだよ。
って言うと、今時の若者は未来に希望が無い、と称され、批評家は嬉嬉として騒ぎ立て、アナウンサーは深刻な顔で読み上げ、教師は真摯に未来を説き、隣のキミは付け焼刃の知識を携えて何度も世界のせいにしている。
私は君の言うことに多少のうそ寒さを感じながらも、概ねの同意を持ってうなずき、キミのまつげが意外と長い事に初めて気づいたりしていた。
生まれた時代を間違えたね、って話は何度もした、もっと前に生まれていれば、こんな生きづらくはならなかっただろうに、こんな下らないことに振り回されたりはしなかっただろうに、って。
私達が過去にいつまでもしがみつくのは、もしかしたら、いや、きっと、生まれ落ちる時を間違えてしまったからだ。ここではないどこか、への座標軸の誤差を埋めるために懐古している、縮まらないその距離を見つめ、何度も、何度も、永遠に、今も、過去を埋葬し続けている。
おはよう、むこうとこちら
適当な電車に乗って、始発駅から終点まで揺られる遊びをしていた。
私が救われて、また誰かを救うのか、という話
「いや、あなたとあの人が実は似てるのはなんとなく分かってたけどさ」
終末期には何色の夢を見る
理想論として挙げるならば、全人類が消え失せた世界で、私1人が静かに生きていて、砂の城が崩れるみたくコンクリのビル街が、小学校が、コンビニが、君がいたはずのマンションが、ほろほろと崩壊していく様子が見たい。その粒子はさらさらと風になびくだろう。それらを全て見届けた後に、私もぽろぽろと欠けていって、ひっそりと何もなくなった世界で朽ちていくんだ。殺されるんじゃない、死ぬのでもない、淘汰されるんだ。