キミの隣で、モラトリアム

虚実ないまぜインターネットの墓標

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自主性という名のもとに成り立った強制労働が大嫌いである。多分、もちろんのこと、殆どの人が嫌いであろうけれど。
好きなことやっていいんだよ、って言いつつも暗黙のルールがあって、そのレールからは絶対外れてはいけない、無言の圧力。そういうのあると何をしていいのか本当にわからなくなる。いや、多分、絶対外れない王道を行けばいいのだろうけれど、それ、きっと、バカにされるっていうか、絶対誰かやるじゃん、私よりもクオリティ高くして。勝てっこないよね、それは。
あと、単純に王道はプライドが許さない。狭い了見で生きてるね。寂しいものの考え方です。しょうがない。
昔の話だけど、中学の頃、家庭科の授業があって、休み時間にクラスメイトが先生の磁石を使って遊んでたのがバレたんです。しかもたちのわるいことに、彼女達、それ、無くしたんだよね。それを内緒にしてこっそり隠してたの。当時の家庭科の先生はヒステリー入ってるので有名で、そりゃまぁ、当然のごとくキレたんです。
その磁石を探し出すまで私は授業しません
って豪語して、テスト前、範囲も終わってないのに授業が中断されて、私は、しょうがない、自習か、と思ってプリント開いていたら、遊んでた子は当然として、それ以外の子もガタガタと立ち上がって探し始めたんです。
正直、その時は本気で理解出来なかった。
一応弁解させてもらうと、そう言うのも、その先生の話が、聞くに値するとは思っていなかったからであって、多分、自習でもそうじゃなくても同じだろうと私は、考えていた。まぁ、他にそう考えていた人がどれだけいたかは知らないけど、多分、一定数はいたでしよ?
現に私の後ろの席だった、声が低い女の子は、別に私らが探さなくたっていいよね、って耳打ちしてきたのだし。
それでも半数以上はオロオロと机の下や床を探し回っていたし、その姿をなんだか、惨めだと思った私がいたのも事実。
でも、あれが初めて自主性という名のもとに成り立った強制労働に逆らった日だったのだろう。その前にも何度か無意識のうちに逆らう機会はあったのだけれど、それは、無かったことになっていた。
しかし、だからといって、今、逆らい続けているのかと言うと、そんな事はさらさらなくて、あの時感じた居心地の悪さに苛まれて、みんなと同じようにオロオロと床を這い回っている。
所詮、そんなもんです。
一人ぼっちでクーデター起こす程私は強くなかった、それだけ。

それでも、あの時、クラスメイトを見ながら感じた優越感は今でも覚えている。マイノリティ故の孤独に浸っていたのだ。
寂しいものの考え方です。