キミの隣で、モラトリアム

虚実ないまぜインターネットの墓標

あの子の話

今はもう忘れてしまったけれど、左手と右手にはそれぞれ名前があった。

ひとつの名前を半分に分けた名前だった、不格好だけど居心地の良い名前だった、あの子がつけてくれた名前だった。もうおそらく今あの子に聞いても、何も覚えていないだろうけれど、私は両手に名前があった、という事は覚えている、覚えているだろう、これからも。


あの子に出会ったのは、私が14歳になる春だった。長い黒髪がきれいな子で、よく1人でノートに絵を書いていた。学校は来たり来なかったり、来ても遅刻したりクラスにいなかったりしていて、そういう子だった。憐れんだ、とか、そういうんじゃないけど、興味を持った。おそらく、幸福さ故の無邪気な好奇心で、純粋に話してみたかった。
その日、放課後、私は委員会の仕事で、テープのりを使って紙にクラスメイトが書いた文を貼っていた。どうも使いづらく、何度も何度もやり直していた。遂にテープのりは壊れたようで、紙の上を転がしても何も出なくなってしまった。教室には、あの子。一人でノートに絵を書いていた。ふいに声をかけてみたくなった。テープのり出なくなっちゃったんだけど、これわかる、? と。今考えればいきなり面識もほとんどないのによく話しかけたものだと思う、だけど何故か、その時は、大丈夫だと思った、話しかけても応えてくれる、私たちはその距離感をその時、手にしていた。
あの子は最初、びっくりして面食らったような顔をしていたが、ちょっと見せて、と言って私の手からテープのりを取り、調べ始めた。私が手にしていた時はぐちゃぐちゃになっていたそれは、あの子の手に渡ると見る見るうちにテープはもつれを正し、元の位置へと収まってゆき、数分のうちに元通りになった。私は本当に驚いたし、それ以上に、あの子ともっと話したい、近づきたい、という思いで、執拗に大げさにあの子にお礼を言い、すごい、すごいね、と褒めたたえた。
私のその不自然な行動はあの子の目にもおかしく映ったのか、あの子は楽しそうに笑った。同じクラスになって初めて、笑った顔を見た。 今まで、冷たい瞳と固く引き結んだ唇の横顔しか見てこなかったけれど、こんなにも柔らかく笑うんだと思った。
それからゆっくりと私とあの子は仲良くなった。
いつも笑ってノートに書いた絵を見せてくれた、絵は日を追うごとに上達してゆき、私はその経過を見るのが楽しみだった。時々駅のホームで買った見たこともないジュースを持ってきて、もういらないからあげる、と押し付けられた、1口飲んで、まっず!!と2人で笑い転げた。よく傘を忘れて、雨の日には濡れて帰ろうとするから、途中まで傘に入れてあげた。帰り道、方向は違うけれど途中まで一緒に帰った、別れ際の三叉路、帰りたくない、と言ってよく私の袖を引っ張った。私は、なんと言っていいかわからず、ふざけて、やだよ〜私は家に帰って録り溜めたアニメを見るんだから〜と返していた。本当は、私も帰りたくなかった、私もこのままずっとあの子と永遠に帰り道を歩いていたかった。だけどあの時の私はそうは言えずにふざけながら笑って、引っ張られた袖を引っ張り返すことしか出来なかった。
そうして愚かで幼い私は、あの子を救わなければならない、と思うようになっていった。
俗に言う、不登校、を繰り返していたあの子にはそこに至る原因があるはずだ、と、それを取り除くことが私には出来るはずだ、と。ただ、臆病さ故に私の方からそのような話をすることは無かった。それが正解だったのかは分からない。あの子がする、家族の話、友達の話、小さい頃の話、塾の話、これまでの事これからの事、それらを聞くだけだった。話をすることで話を聞いてあげることで、あの子のために何か出来てるんじゃないかと思っていた。
そんな毎日を繰り返していって、あの子は前よりもよく笑うようになった、よく喋るようになった、初めてクラスメイトの前で発表をした、不登校も前に比べたら少し減ったように思った。私は喜んだ、あの子の成長を、そして私のやってきたことを。思えばその時点でもうきっと歪だったのだ。私はあの子を救えている、と確信してしまった。

 

15の冬、中学も終わる頃だった、私達は一貫校の生徒だから、大体はそのまま上に上がる、私もそうで、無論あの子もそうだと思い込んでいた。放課後の薄暗く、冷えた教室で、机に座ったあの子は私に言った、 あのね、私、別の高校に行くの。てっきり同じ高校に行って、あと3年間変わらない日常を過ごすとばかりに思っていた私はショックを受けた。それと同時にあの子を救えなかった自分に絶望した。このままあの子は徐々に毎日学校に行けるようになって、友達もいて、楽しい高校生活をみんなと、そして私と過ごせるようになる、もう学校に行けないあの頃じゃなくなる、それが救済になるんだと思い込んでいたからだ。あの時の私に必要だったのは、あの子が自分でその選択肢を選んだことを受け入れ、それを祝福し、そしてそれからを応援することだったのに。

 

愚かで無知で自分勝手でお節介な私は勝手に期待して、勝手に失望した。

 

あれから2年が経った、それからも私はあの子の話を聞いている、家族の話、犬の話、学校の話、友達の話、不安なこと、将来、そしてあの時のこと。私はあの子を救う為ではなくて、ただ、友達として話を聞いている。もうちゃちなヒーローごっこはやめた。

 

時々思い出す、あの子に名前をもらった、左手と右手に、これは私とあの子が友達の証。劇的な関係は何もいらない、ただ平凡に、ずっと話をしてお互いが同じ歩幅で歩ければいい。

 

そう思って左手、右手、それぞれ忘れた名をつぶやく。あの子がつけた名を。