キミの隣で、モラトリアム

虚実ないまぜの月イチ更新

神様になれなかった夏

神様になれないまま夏を迎えてしまった。

 


小さい頃、本で博愛主義と言う言葉を見つけてからみんなが平等に好きな人になりたかった。
男も女も老人も若者も貧富も何もかも全て幸せであってほしいと思ったし、私にはそう願う義務があると思った。

 

サメジママミ美に会ったのは15歳の頃、その頃私にとって彼女の17歳という数字はとても遠いものだった。とても可愛らしく笑うくせに、ひどく冷めた目つきでタバコをふかす。彼女の厭世的な世界観、近いようで実は遠く離れたところにいるようなその態度に、私の思い描く博愛主義を重ねた。誰かを愛しすぎてもいけないし、迫害してもいけない。15歳の私は、17歳になったらマミ美のようになろうと思った。

瞬く間に時は過ぎて、あの時遠い先の未来だと思っていた17歳になってもちっともマミ美のようにはなれない私は、みんなを平等に愛することも出来ないまま漫然と毎日を送っていた。私という個人の概念が邪魔で、余計な思考が流入してくるから好きな人もいっぱいいたし、嫌いな人もいっぱいいた。それでも、どんなバカもどんなクズもどんな愚か者もどんな傍観者も平等に裁いて平等に愛してやりたかった。人間であるから理性が邪魔だった。だったらいっそ、神様になればいいんだと思った。マミ美になれないのであれば、神様なんていないんすよ、とどこか遠いところを見つめながらうそぶく彼女に、私が神様になってあげようと思った。

 

 

17歳が終わって18歳になっても神様にはなれなかったし、時計の針は同じように進むし、窓の外は相変わらず暗かった。多分きっと同じように来年もその先も何も変わらない夜を過ごして、気持ちだけが上滑りしながら大人になってゆく。

それでも昨日まで、ほんの少し前までは、18とは重たい数字で、何かの契機で、ここが始まりで終わりだと思っていた。冷たくて重たい何かが、確実にこの間には横たわっていて、それをもう一度あちら側へ乗り越えることは出来ない。閉ざされた向こう側のことを、こちら側の毎日がかき消して、これまでの私が薄く、遠く、見えなくなってゆく。おぼろげになった無数の私たち、かすれた記憶、思い出そうとしても思い出せないこと、忘れたくなかったのに忘れてゆくこと、そうしたことに胸をひりつかせることもいつかは無くなって、全てを忘れてゆく。

18歳は明白な転換期で喪失が始まってゆく。

決別の扉は既に開いてしまってけれど、まだ、まだ私はあの日々を忘れ去ってはいない。大人になるんだ、というちゃちな言葉で17歳の私を殺したくはない。不可逆的に、煩雑な毎日に溶けるように無くなってしまう今までを、私はまだ覚えていよう。17歳の私がなれなかった神様のことを、18歳の私がなろうと思う神様のことを、向こうとこちらを確かにつなぐこのことを、私だけはまだ忘れない。