キミの隣で、モラトリアム

虚実ないまぜインターネットの墓標

時間的有効性の束縛

未来を知ることが出来る、と言われても別にどうでもいい。タイムマシンで未来に行こうよ!とかなっても多分断るだろう。それはひたすら後ろ向きな理由で今がいいから。今のままでいたいからに過ぎない。あ、占いとかは好きです。さほど当たらない割に、緩やかに心を支えてくれるから。そこじゃなくて、もっと、確実で、確証のある未来。だって、未来とか知ったら怖いじゃん。そうならざるを得ないんだよ。決定されてしまう、私が。どうにでも、どうにか、なる、と白紙にしていたところに決定的な結果を突きつけられてしまうなんて耐えられっこない。現実から目を背けている間は絶対に未来なんて見てはならない。知ってはならない。
随分と過去の話をしてますね。過去が好きなんです。しがみついているんです、と言うかそうしていたいいつまでも。ただ、大好きな詩人さんの言葉を引用させていただくと、今より優先されるべき過去は存在しないそうで。それは私に痛恨の一撃を食らわせた。そう、その通りなのだ。
もう、この話は一旦やめだ。
好きな食べ物は何ですか、という質問が一番苦手です。なんて答えればいいのか分からない。コーンスープとか言うと、子供かよ、と思われそうだし、ラーメンとか言うと、貧乏臭いと思われそうだし、するめとか言うと、そういうこと聞いてないし、おやじみたい、と思われそうだし、みかんとか言うと、それはなんかもう違う気がする。食べ物の好みを聞いてるのに、人間性を問われている気がして、非常に困る。
でも、あの質問は一生ついてまわるタイプの質問で。それだから、それなりの答えを決めて置かなければいけないのだけれど、なんにも上手いことが言えない。てか、好きな食べ物なんてその日の気分で変わるでしょ、いや、刻々と変わるでしょ。てか、好きって何ですか、そんな曖昧なこと聞いて。
濁った水を無理やりかき回す必要はどこにも無い。見たくないものまで見えてしまうから。それならそのままにしておけばいいのだ。
見ないふりは美徳でもある。