キミの隣で、モラトリアム

虚実ないまぜインターネットの墓標

グッドバイ、はいすくーるdays

あと10日で卒業なんだって、知ってた?知らなかった、制服を着て街を闊歩できるのも、教師と親しいようなよそよそしいような謎の雰囲気で話せるのも、いつもの皆がいてどうでも良いことを話せるのも、行ったら必ず私の机があるのも、大人でも子どもでもないのも、青い箱庭で暮らせるのもあと少しなんだって、知らなかった。急に毎日が猛スピードで過ぎ去って行くような気がする、これまでの日々がかき消されてしまう気がする、待って、行かないで、もう少しここにいさせて欲しい。モラトリアムの続きはまだ知りたくない。

 

昔から、失くしてから初めてその尊さを知る人間だった。今までいくつもの日々を、人を、想いを失ってから本当は大事なものだったんだと後から悔やんでいた。この話を先日Sにしたら、自分も昔はそうだったけれど、今は違う。今は色んなこれまでが思い浮かんできてただただ懐かしいと言われた。手放す前にその尊さに気付けるのが大人なら、私はまだ子供のままでいられるようだ、目一杯悔やんで胸を焦がして惜しむが良い。まだ大人にならないで済むから。

件のSと引き続いて話をした。貴方は昔からJKになった!だの言って女子高校生ということに固執していたね、と言われた。その通りだった。勿論冗談めかしたところもあったが、本当に私は女子高校生という事実が愛おしかった。そういったものを気に留めないSらが不思議に思えた。女子高校生という、何者でもない、何者にでもなれる、魔法のような3年間だった。電脳世界に足を踏み入れた冬、眠れずにベランダで詩を読んでいた夏、どこかに行きたくて工業地帯と海を眺めに行った日差しが柔らかかった日、延々と続くような不安と孤独に苛まれて白いベッドに横たわっていた夕暮れ、赤色だけが私を認めてくれていると信じて疑わなかった深夜、ゆっくりと夜が明けてゆく様子を眺めながら夢遊病の真似事をしていた明け方、これら全てが過去として遠く、蜃気楼のように朧げにゆらめいている。

 

結局、綿矢りさのように高校生で文壇デビューをしたり、サメジママミ美のようにカメラ一つを持ってアメリカに行ったり、知らないおじさんとカラオケ行ってお金をもらったり、君可愛いねなんて街中で声をかけられたり、友達と泊まりでどこかに出かけたり、世界を救ったり、誰かの神様になったりするなんてことは無かった。何者にもなれないまま3年間が終わろうとしている。女子高校生としてやったことなんて学割を効かせて演劇と映画を見たことと、夏に星間飛行をしたくらいだ。それでも私は何者にもなれなかった私が愛おしい、何者かになれると、そう思って生きてきたこれまでの私を何より誰より抱きしめに行きたい。凄くなんてない、普通だ、いや、もっと言えば全然ダメだった。毎日泣いてた。今だって泣いてる。このまま死にたいと思っていた。今だって思っている。だけどその過去たちは美しく鮮やかに私の目に映り込んで、消えてくれない。胸をえぐるような痛みを伴って突きつけられるこれまでを繋ぎ止めることで生きている。

 

女子高校生が終わったからと言って何かが劇的に変わる訳ではないしきっと相変わらずなんの変哲も無い毎日が続いてゆくだけだ。けれどそこに何か一つ終止符を私は打ちたい。打たなければならない気がする。愚かで透き通るように美しく純真な、愛おしい妄執に向き合い、過去として連綿と繋げてゆくために、別れを告げなければならない。だけどもあと少し、もう少しだけ、

                                            キミの隣で、モラトリアム