キミの隣で、モラトリアム

虚実ないまぜインターネットの墓標

ディスタンスfrom盛夏

有り体に言って仕舞えば,結局人間は肉の塊なのだ。身に纏う些細な布切れも,わずかばかりの表情もささやかな言葉も全て剥ぎ取って仕舞えば薄い皮膚に包まれた肉の塊に過ぎない。このことに気付いたのは夏の盛りのことだった。どうしようもなく生を感じさせるその生々しさに急に嫌気がさしてどうでも良くなった。一人でも良くなった。どうせ特定の人間に執着しようと外側を剥がしてしまえば皆変わらず肉なのだ。かわいいあの子も,優しい彼も,信頼できるあなたも,敬愛して止まない彼の人も皆ただただ肉の塊で,我々はその肉を装飾する何かに惹かれているだけなのだ。そう思い始めたら,どんな名前でその関係性を呼べども圧倒的な生はそれらを破壊していった。

結局は肉なのだ,肉が寄り集まっているだけなのだ,そう思うと不思議なことに息が吸いやすくなった。季節は次第に秋に向かっていき,私は誰かといることに執心するのではなく,一人で過ごすことに力を注ぐようになっていた。「みんな」でいる場ではあえて半歩下がって見ていることにした。「みんな」でなくなることは少し怖かったけれど,あの肉の感触を思い出すとずいぶんマシだった。

金木犀の香りが肺に満ちる頃には一人でもそこそこ楽しくやる方法がだんだん分かってきた。苦しさは一人で抱え,一人で癒さなければならなかったけれど,楽しさも私のものだった。「みんな」と距離をとったことで多少自由にやったところでどうにもならないということも分かった。どんどんとどうでも良くなった。私を支配していた「〜ねばならない」という拮抗禁止令のようなものは次第に薄れていった。己に課したルールをいくら破ったところでさして変わらなかった。安心感と同時に破滅願望のようなものが湧き上がった。もっとダメなことをしよう,もっとどうでも良くしてしまおう。思えば,私は私の課した決まりを守ることで自分の世界を作り,安全を手に入れていたのだ。それなのに,規則の逸脱により,それが機能しなくなったことに失望したのだ。人間という存在の生に絶望を感じる反面,自身の拮抗禁止令の真偽を確かめようと躍起になって人間に近付いたりと支離滅裂な真似をして苦しんだ。高校生の頃は己についてあれほど苦しんだのに,今は人間と関わることでどうしてこんなに苦しまなければならないんだ,あの頃の苦しみなら甘受できるのに,と何度も歯がみして淀んだ瞳で布団にくるまった。不思議と涙は出てこなかった。苦しかったけれど,悲しくはなかった。ただただ,悔しかった。どうして他人のあれこれでこれほどまでに傷つかなくてはならないのか,しかし,この災厄を招いたのは己が自身である。誰も止めてくれないのも加速する要因の一つだったと思う。とことんどうでも良くなった。どうでも良いとすることで己を守った。

そんなこんなで冬は人間という存在に疲弊して生きていたため,特定の人間を素直に見つめ返すことが難しかった。己の犯した過ちによって疑心暗鬼になっており他人の行為はおろか,自分の気持ちすら信じられなくなっていた。どうでもいい,だって本当は皆肉の塊で,何かにこだわったって結局どうでも良くなってしまうのだから。長い夢を見ているのだと言い聞かせた。いつか覚めるけれどそれまではせいぜい楽しめばいい。これは私の,私だけの妄想で空想でたわいの無い想像なのだ。

夢はなかなかしつこく覚めず,幻覚はリアルな質感を伴い日常に侵食してきた。季節は,妄想が現実味を帯びるたびにゆっくりと進み,春,夏,そして秋が訪れた。この頃には人間に対する恐怖も和らぎ,特定の人間の瞳もしっかりと見つめ返せるようになった。もう夢じゃないと思えるようになった。長い時間をかけてその誠実さは私を取り巻いていた疑念を綺麗に払い取ってくれた。人間が肉であることに変わりはないけれど,それに対して以前ほど嫌悪感を抱かなくなってきた。どうでも良さも前より上手に飼いならせるようになった。あとは夢ではなくなった現実に私が自分から触れるだけだった。

静かな冬に辛うじて現実に指先を触れ合わせ,ゆるやかに春に向かって時計の針を進めた。穏やかな時の流れの中で,春を終え,あれから二度目の夏を迎えようとしている。人間は肉の塊だ。それはあなたも私も君もあの子も誰かも変わらない。所詮は容れ物なのだ。けれども,血の通った容れ物である。その生を,代替不可能な個を,眼を逸らさず見つめ愛すことがようやく出来そうだ。どうしようもなく肉の塊であることに愛おしさを感じられた今の私は,もう,誰かと一緒でも生きてゆける。