キミの隣で、モラトリアム

虚実ないまぜインターネットの墓標

過去、現在、インターネット

ここだけでなら生きられるような気がしてしまう。インターネットの中、私の意識だけが集約されたこのページ。記憶であり、記録であり、理想であり、空想である。なりたい私、なれなかった私、青くて無限にどこまで行けそうな深く遠い海の中で無数の限りなく愛おしいifがぷかぷか浮き沈みしている。

 

人に会わないでいるとどんどん人に会いたくなくなってしまう。次に人に会う時がどんどんと怖くなる。ラブリーサマーちゃんの『わたしのうた』を聴きながらミスiD2015のサイトを眺めている。

覚えてる、ねぇ、覚えてた?夏休みの宿題も終わってないのに、始業式のあと制服で『TOKYO INTERNET LOVE』を見に行った高校2年生9月の始まりの日。天川宇宙ちゃんが見たくて行ったけど、それと同じくらい矢川葵ちゃんが可愛くて、映画の空気感とか、においとか、とても好きで、その時初めて分かったんだ。私は舞台の上でキラキラと輝く彼女たちが好きで、ずっと彼女たちになりたいと思っていたけれど、そうじゃなくてもいいのかもしれないと。勿論、なれるんだったらなってみたいけれど今の私にはそうじゃないやり方だってあって、それもそれで美しいんじゃないかと思った日のことを。波のようにあらゆる感情が押し寄せてきて、いてもたってもいられなくて、駅のホームのベンチに座り込んでメモ帳に叫び出すように一心不乱に想いを打ち込んだことを。

ミスiDのことも覚えてる?中学3年生の秋。初めて天川宇宙ちゃんを見つけてその可愛さに目を奪われたこと、私はその時まで生きている女の子を可愛いと思って追いかけることをしたことが無かったからとてもびっくりしたんだ。彼女のルックスや歌声、イラスト、ツイキャス、醸し出すインターネット特有の虚構性が愛おしかったけれど何より素敵だと思ったのはその文章だった。彼女の綴る文章はとても綺麗な青色をしていて、それはピンポイントで私の胸に突き刺さってくるようで、まるでお気に入りの髪飾りのようだった。その文章力や彼女の姿に嫉妬してラブレターとは呼べないような薄暗い手紙を綴ったこともあったけれどすぐに破り捨ててしまったのでなんて書いたのかはもう覚えていない。

 

彼女や彼女にまつわるカルチャーから形作られた私のインターネットは、私の思考を繋ぎ止め、記録し、もう一つの世界として居場所を与えてくれた。あの頃に比べてだいぶ「インターネット感」というものは薄らいできたような気はするけれど、確かにここは私の世界であるし、生きられる場所であることには変わりないし、それはこれからもそうだろう。これまでいろんな方法で自分と向き合おうとしてきたけれど、やはり文章を書くのが適しているようで、これを繰り返していくしか方法は無いのだろうなと思う。

誰にも会いたく無いという気分になってうっすらと藍色が臓腑に染み込んできたのは存外久々の感覚で、(その感覚が久々だということにも驚いている)毎日救われないと嘆いていたあの頃を思い出していた。あの頃書いていた文章と今のものでは大分感触が違う。もう少し前までは、なんであの頃みたいな文章が書けないんだろうと悔やんでいたが、肉体が存在する方の日常を反映してこれらの文章が出来上がっているのだとしたら、これはこれでいいんじゃ無いかとも思う。諦観だと言ってしまえばそれまでだし、私が最も忌避したい凡庸な人間になりかけていることも否めない。しかし、私はまだ、まだあの頃を忘れてはいない。あの頃感じていた感覚を忘れていないし、忘れないようにするためにここがあるはずだ。変わるということを受け入れ始めたのかも知れない、それは明るいことでもあるのだろうが、やはりとても悲しい。意識と感情と現実というものはどうもうまく噛み合わない。ちぐはぐさも今の私だ。苦しみでいい文章を書く時期は終わってしまったようだけれど、そうじゃ無い今も悪く無い、と思っていいのかも知れない。

(以下、ベンチでメモ帳に書きつけた文の抜粋) 

 

『序盤の、ラソドドシャープの白い紐が動く映像はスマホをつなぐ電源の線だった、最後の黒い画面に赤い線と青い線、そこを白い線が縫っていく、途中から青い線が住宅や敷地建物を示し出す、地図だ、赤い線そして現れた灰色の線は道路、だと思う、だんだん、水色の、河川とかが増えてゆく、最終的に海にたどり着く、あの映像は多分、チハのたどった道、本編のラストで水色のワンピースを着たチハが海を見ているシーンがあるから、最初に何も無かったのはチハたちがいたところが森の中だったから、森を抜けて、道路に出て、団地を、河川敷を、住宅街を、グラウンドを進んでゆく映像が素敵だった、特に、赤信号がいっぱいのところ、私はああゆう映像が撮りたい、撮ったこともないけれど、その時思った、私はあそこでくるくると回る子になりたいんだとずっと思ってたけれど、違うの、いや、ほんとは違わないのかもしれないけど、私はもう、私がくるくると回れないとわかってる、回っても全然面白くないって、それはもう謙遜とか自虐とかじゃなくて、客観的にわかってる、私はあの空間を、風景を、映像を作り出したい、あそこには彼ないし、彼女ないし、物体や建物やその他諸々具象が現れているけれど、我々の目に見えるものはそれらだけど、そこに確かに私はいる、そう思う、実際に目には見えないけれど、私の私の部分はそこにいるから、それでいいのだと思った、それは私が今、1番美しい形でいられるあり方だと思った。』