読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

キミの隣で、モラトリアム

虚実ないまぜの月イチ更新

私が救われて、また誰かを救うのか、という話

「いや、あなたとあの人が実は似てるのはなんとなく分かってたけどさ」

 
いやさね、確かに似ているのかもしれないと思ったことは何度かはありますよ、例えば、誰かが言った言葉とかテレビの口調を気軽に真似してしゃべるとか、誰かに語りかける時の言葉の出し方とか、〜で〜は、〜じゃん!?みたいな言い方。ユーモアを強引に隙間にねじ込みたくなる気分とかそのタイミング。
だから苦手だって言ったらそれまでだけど、そういう風に考えるの、もう飽きたんで、やめます。私、あの人のこと好きです。その好きの概念的な話はもうちょい先で言うけどさ。
あ、それで、でも、そういうのは私個人としては昔っからやってて、そういうもんだ、と思っていたから、だからこそ、あの人に会った時にあ、同じことやってる人いたわ、と思ったし、逆に、あれ、あの人以外であんまりやってる人を見ない?とも思った。まぁ、それは偏見。マイノリティ故の優越感。自己を知れ。自惚れるな、常に己を客観視しろ。自分を特別、だと思った瞬間に私が一生をかけて大事にしなければならないもの、の腐敗は始まる。
それはともかくとして、ね、私はあの人にはなれないし、ならないよ。同じことやったってしょーがないでしょ。いや、別にかっこつけてんじゃなくて、さ。それと、私はあの人のような器用さとかカリスマ性はどこにもないから。あの人のような事は、似たようなことは出来ても、そのもの自体はきっといつまで経っても出来ない。そこには体現出来ない。でも、それはそれで良いと思っている。
だから、さ、何度も言ってるけど、同じ人間じゃないから同じことやったってしょーがないでしょ。あれはあの人がやるからこそ輝くんだし、そこに惹かれる人がいるのよ、光の下に虫は集まるけど、虫は永遠にその光にはなれなくて、不必要に近づくとその羽を焦がすだけだ、って事を私はそろそろ知るべきだ。
好きな人、と、問われて、私はいつもなりたい人を答えてしまうね。さっきだってそうだった。自己を肯定できてないとか、本当に他人を愛するという事が出来ないんじゃないかとか、実は酷く冷徹な人間なんじゃないかとか、思ったりしたけど、それはきっとおいおい知れていくよ多分。心配しなくとも良いんだ、って何度でも言いたい。言い聞かせたい、そうであれ、と今はまだ信じる時期でありたい。
別に良いんだ光に憧れたって。今の私に必要なのは羽を焦がさない冷静さ。近づきすぎもしないし、だからと言って引きもしないその生き方。それと、光になれないなら他の物になったって良いよ、それだって、光に負けず劣らず美しいのだと信じる心、それを貫く姿勢。
まあ、それの話は置いといて、私は、じゃあ、その不器用さで何かが出来ないか、と思う。不器用なら不器用なりに何かをする方法があると思うし、それで、またあの人とは違う、でも、最高に面白いことが出来ると思うし、それで誰かを救う、うーん、救う、なんて烏滸がましい事言いたかないけど、実際私は演劇に、あの人に、○○○さんや□□□□さんに、△△△達に救われたんだ。今ならはっきりとそう言える。だから、誰かまた救われる人がいて欲しいと心の底では願っている。うん、自己満かもしれないね。偽善的であるかもしれない。でも、祈ってる。もっと端的に言うのであれば、幸福を共有したいだけなんだ。
器用な人が通らない道を不器用が故に通ったとして、そこで見えた景色や出会った人を大切にしたいし、それはめちゃくちゃ面白いし、それで、そこから何かを作って、こんなんあるんだよ、って言いたいし、その時の私の衝動衝撃グルーヴ感を伝えたいし、なんだもう、むしろ一緒にやろう、楽しいよ、ってめちゃくちゃ言いたい。貴方の話が聞きたいです。どう思う、どう考える、聞かせて教えて、そんで面白いの作ろう、ってすごく思っている。きっと、その空間、場、空気はあなたを排除しない。受け入れてくれるし、私はあなた達とそれをこの目で見たい。
それが、ありだ、って思いたいし、そのやり方、生き方も価値が、絶対そこには、例え後付けであろうとも、や、理由は後からついてくるんすよ斎藤さんが言ってた、え、斎藤一。好きなんです、斎藤一の生き方をそれこそ憧れているしリスペクトしているし、なりたい人、って意味で好きって言ってる。うん、だから、何らかの意味があるんだ、そこには。その意味は私を救い続けるし生かし続けるし、もしかしたらその余波で誰かもうっかり救うかもしれない。成功とか失敗とかではなくて。ただ単にそれは付与的。
そうであれ、と考えているし、思っているし、願っているし、祈っているし、信じ続けている。むしろそうして生きていかないと立ってすらいられない。本当はそうじゃないのかも知れないけど、でも、私は私を生かすためにそう信じてる。それで良い、と思っている。その自負は決して醜くなんかない。
これが今の私の生命線であり、理想論であり、未来であり、そして、幸福な結果論である事を信じて。