キミの隣で、モラトリアム

虚実ないまぜインターネットの墓標

終末期には何色の夢を見る

理想論として挙げるならば、全人類が消え失せた世界で、私1人が静かに生きていて、砂の城が崩れるみたくコンクリのビル街が、小学校が、コンビニが、君がいたはずのマンションが、ほろほろと崩壊していく様子が見たい。その粒子はさらさらと風になびくだろう。それらを全て見届けた後に、私もぽろぽろと欠けていって、ひっそりと何もなくなった世界で朽ちていくんだ。殺されるんじゃない、死ぬのでもない、淘汰されるんだ。

そういう終わりが良いな、って話をした。
 
 
あの子との違和を感じたのは春の始めです。
別に誰も悪くない。
今は私がズレを感じてるけどもしかしたら、そのズレは私があの子に気付かないうちに、いや、気づかないフリをして依存してるからかもしれないよ。疑心暗鬼。
別に誰も悪くない。
だって人は変わるのだから。移ろいやすい生き物、可哀相ですか。
それでも私は、あの子と夕方のマックでチンケな性格診断をやって、正反対の性格、相性はサイアク、と出て、それを笑い飛ばした、私ら最強じゃん、って。その時のことを忘れてない。忘れられてない、のかもしれない。
 
誰も悪くない、って言葉、救われているように見えて、殺される気がしている。誰も悪くないのなら、誰のせいにも出来ないじゃない、でも、自分のせいにして甘い自虐を味わうことすら許されない、どうしようもならないこと、そういう現実だって確かに存在するんだ、リアルの痛みを突きつけられても息ができるか。
 
私は君の相棒でいたかった。君の隣にいられる人間でありたかった。今まで私はそれを他者からの絶対的な評価として求めていたのだけれど、違うよそれは。
君が私のことを相棒と認めてくれているかだよ、それが揺らいだってことは、君がそこに価値を見出さなくなった、って事、だよ。もしくは、私自身が知らないうちに君から離れて行っているんだ、知りたくない、それは。
 
それでも、何度でも、言いたいから私はそれを言うよ。
私はあの子の相棒でいたかった、隣でありたかった、それ以上でも以下でもない、最高に最強で対等な関係でありたかったのだ。
 
いいよ、これすら依存と笑ったって。
現に私はあの子に幾度か救われている、あの子もきっと、私に幾度か救われている、はずだ。
そうであってくれ、と願う心、浅はかな自尊心。愚かだね。
 
世界が終わる時の話をしたら、あの子、コンクリはほろほろと崩れずに、いきなりボロっと壊れるんだ、って言ってた。
私たちの世界は何で構成されてますか、崩壊しない物質なんてこの世には存在しないよ、だから、永遠は構築されない、断絶。
 

春の病に治療は必要ですか

生きるのは義務ではないが、今までの自分を全て否定してしまうのは罪であり、冒涜だ。
なんて適当にでっち上げてみた。
なんで、死んじゃいけないの、
って屋上が好きなあの子に聞かれた時の答えを探している。きっとこれじゃあの子は納得出来ないね。まだ、届かない。
罪、って言ったらどれも裁かれて、赦されそうな気がしてる。僕のちっぽけな理想論。
前にネット記事で「大森靖子、春を殺しすぎ問題」なんてのがあって、それな、って思ったけれど、よく考えてごらんよ、春は魔物だ。
みんな、様々な思惑を抱えて、春に殺されそうになっているからこそ、殺られる前に殺れ、春を殺すんだ。出会いも別れも繰り返すでしょ、生き物の、命が一斉に芽吹き始めるあの生暖かい空気の中で。むせ返るような桜吹雪の中で。あの短い、知らぬ間にやって来て、気づいたら消えるような朧気な、だけど確かにそこにある時間。
奇妙な時間だとは思わない?ぐにゃり、と時空が歪むような、春は、違和の連続だ。
そう感じるよ。ほら、言うじゃない、桜の樹の下には死体が埋まってる、とか、桜の樹には鬼が棲むとか。どこか普通ではないんだよ、みんな薄々気づいてる。
敏い人は、だから、春を憎むんだ。春を殺すんだ。惹かれてはならないから。どんなに美しく魅惑的であろうともそれは春だ。いつまでもそこにはいられない。季節は次々と死んでゆく、のでしょ?邦楽バンドで聴いたよ、僕らはいずれ別れを告げなくてはならないんだ。
だからこそ、僕ら自身が春を殺さなくては。
美しいものは永遠にはそばにいないし、決別の苦さだって生き延びるためには必要不可欠なのだろう、という話。
とは言っても今年はまだ桜を心ゆくまで見ていないのでまだ春は殺さないでいよう?桜もまだ3分咲だそうだし。たとえ君との別れがどれほど辛いものだったとしても、花びらを口直しに舐めるくらいのことはできるでしょ。
今日は雷がなっていた。小学校の前の早く咲いた桜は散ってしまうのだろうな、別離別離。雷でカーテンが紫色に染まったのを見て、美しいと思った。雷は舐めたらきっと甘い味がする、なんて気がした。大きな音がしばらくして轟いたので、きっとどっかずっと遠くに落ちたのでしょう。僕の知らないどこか遠い街で。
もう一個、桜と言えば、漢詩の勧酒が好きなのです。

勘 君 金 屈 巵  君に勘める金屈巵
満 酌 不 須 辞  満酌辞するを須いず
花 發 多 風 雨  花發けば風雨多く
人 生 足 別 離  人生別離足し 

これこれ。
好きで漢文の教科書に載っていたこれを古典の時間中ずっと眺めていた事もあったね。目一杯春に狂わされている感じ、ある。所詮人間生かされてるのでしょう。
僕は笑顔で君を送り出せないようです、ごめんね。まだ別離の時じゃない、って心のどこかで必死に願っている。そうであってくれ。
ちなみに井伏鱒二が素敵に訳してます。こっちは有名だし、この言葉の使い方好き。

この杯を受けてくれ
どうぞなみなみ注がしておくれ
花に嵐のたとえもあるぞ
「さよなら」だけが人生だ

花に嵐って言うセンスが好き。
前も見えないほどの桜吹雪を思い浮かべる。もう、きっと誰も見えないよ。まぶたの裏に映るのは君だけだ。
して、さよならだけが人生だと言うのなら、出会いの春は幻なのでしょうか。
とか思っていたら、寺山修司も同じような事を思ったらしいのです。

さよならだけが人生ならば また来る春は何だろう
はるかなはるかな地の果てに 咲いている野の百合何だろう
さよならだけが人生ならば めぐり会う日は何だろう
やさしいやさしい夕焼けと ふたりの愛は何だろう
さよならだけが人生ならば 建てた我が家は何だろう
さみしいさみしい平原に ともす明かりは何だろう
さよならだけが 人生ならば
人生なんか いりません

さすが寺山修司田園に死すを見たのですが、あの独特な映像にハマりました。途中の見世物小屋のシーンの不気味さ、人ではないものが紛れ込んでいるような感じ、あの子が見世物小屋は苦手だって言ってた理由が分かる気がする。彼女、こんな目で世界を見ていたのかな。
しかもあれを今から何十年も前に思いついてやってのけたのが凄い。めっちゃ怖いけどね。恐山の夕焼けが目に痛いほどの赤さだった。あぁ、閉ざされた場所なのだ、とあらためて思った。だから山は少し苦手なんだ。嫌いじゃあ、ないけど。独特の囲われた雰囲気があるから。
僕としては、人生までは捨てられないけれど。
どんなに恥を晒しても生きていくほうが価値があると思い込んでいるたちだから。自分の生きざまほど、素晴らしいほどに無様で面白く、輝いて、ドラマチックなものは無い。誰も代替できないよ。オンリーワンなんてチープな言葉で言う気はさらさらないけど、それでも、80年間をさよならだけの毎日として過ごしても、満足だったと目を閉じて緩やかに笑って死ねるだけのものはどこかに必ずあるでしょう。

笑って死ぬ為に生きてんだ、僕ら。

君じゃ、星にはなれなかった、ね

嫌いだから殺すのか、好きだから殺すのかでずいぶんと人間性が変わってくると思うのだが、(ってか、そもそも殺す時点で人間性はかなり問われている)嫌いだから死ぬ、か、好きだから死ぬ、の二つが今の流行りなの?そんな気がするそれだけだけど。
憎しみで人を傷つける程の勇気はなく、だからと言って愛憎で嬲るほどの気概もない。故にその気持ちは全部自己に向いてしまう。内向的、と言ってしまえばそれまで。いやぁ、害のない世の中になったね?自分自身を憎めばそれで終わるもの。
昔より、私なんて、とか言う子が増えてきたのも事実で。だってそうでしょ、自虐を謙虚と捉えて肯定する文化になっているんだから。しかもそういう子がカルチャーの発信塔になってるんだよ、そりゃ、しょうがないよ。
自己嫌悪を最も美しいものとして昇華出来るか?それは無理難題。君たちが見てる彼や彼女達がそう見えるのは、受け取り手がいるから。彼ら彼女らが発信した自己嫌悪とも呼べる自意識から垂れ流したカルチャーを喜び勇んで受け取り、崇拝する君らがいるからそれが成り立っている。彼ら彼女らの自己嫌悪は昇華される。
だけど何も持たない君らがそれをやった場合、濁りきったそれは昇華されるはずもなく、ただただ自己に冷たい刃として戻ってくるだけなんだよ。それだけのこと。
結局の所、存外世界は単純に出来ていたりして、強い人だけが、幸せに暮らせるってこと。世界の理を知らなさ過ぎたね、僕ら。
心中なら古典芸能にも語られる伝統美みたくなっているけど、(そも、日本のそういう文化もいささか問題がある)勝手に死んじゃうのは身勝手だよね、って話をあの子とした。だってそれじゃ、自分が大好きなだけじゃない。好きな人の瞳に映る自分の姿を愛してるだけだよ、愚か者。ねぇ、君と僕だけはそうならないといいね。
映画を見て、お互いのくすりとわらう声だけを聴いて生きていこう。

時間的有効性の束縛

未来を知ることが出来る、と言われても別にどうでもいい。タイムマシンで未来に行こうよ!とかなっても多分断るだろう。それはひたすら後ろ向きな理由で今がいいから。今のままでいたいからに過ぎない。あ、占いとかは好きです。さほど当たらない割に、緩やかに心を支えてくれるから。そこじゃなくて、もっと、確実で、確証のある未来。だって、未来とか知ったら怖いじゃん。そうならざるを得ないんだよ。決定されてしまう、私が。どうにでも、どうにか、なる、と白紙にしていたところに決定的な結果を突きつけられてしまうなんて耐えられっこない。現実から目を背けている間は絶対に未来なんて見てはならない。知ってはならない。
随分と過去の話をしてますね。過去が好きなんです。しがみついているんです、と言うかそうしていたいいつまでも。ただ、大好きな詩人さんの言葉を引用させていただくと、今より優先されるべき過去は存在しないそうで。それは私に痛恨の一撃を食らわせた。そう、その通りなのだ。
もう、この話は一旦やめだ。
好きな食べ物は何ですか、という質問が一番苦手です。なんて答えればいいのか分からない。コーンスープとか言うと、子供かよ、と思われそうだし、ラーメンとか言うと、貧乏臭いと思われそうだし、するめとか言うと、そういうこと聞いてないし、おやじみたい、と思われそうだし、みかんとか言うと、それはなんかもう違う気がする。食べ物の好みを聞いてるのに、人間性を問われている気がして、非常に困る。
でも、あの質問は一生ついてまわるタイプの質問で。それだから、それなりの答えを決めて置かなければいけないのだけれど、なんにも上手いことが言えない。てか、好きな食べ物なんてその日の気分で変わるでしょ、いや、刻々と変わるでしょ。てか、好きって何ですか、そんな曖昧なこと聞いて。
濁った水を無理やりかき回す必要はどこにも無い。見たくないものまで見えてしまうから。それならそのままにしておけばいいのだ。
見ないふりは美徳でもある。

狂った時計は、もう、戻んないよ

あれ、もう一週間が過ぎるの?と思ったのは何故だろうか。あれ、詩のボクシング谷川俊太郎に物凄く衝撃を受けたのはいつだっけ、あぁ、もう一昨日の話だなんだそうなんだ。あれ、図書館の帰りに会いたくない人に会ったのはいつだっけ、なんだ、一昨昨日の話だ。そうなんだ。一週間が瞬く間に過ぎてゆく。時間を素晴らしく無駄に使う日々を過ごしている。

毎日の過ぎ行く速さに驚きを覚えたのはいつだっけ。
きっと、最初に感じたのはあの時だ。小学校の頃、一番仲が良かった子とクラスが初めて別れた5年生。春の少し肌寒い放課後、だんだんおちていく日を眺めながら、彼女のクラスの帰りの会が終わるのを待っている時間はとても長かったのを覚えている。遠目でクラスの様子を覗いて、なんだ、案外私がいなくても上手くやってんじゃん、なんてよく分からない事、嫉妬とも呼べないほの暗い何かを感じながら、待っていたあの時間は、パラレルワールドだった。次元が歪むのだ。ぐにゃりと間延びして半永久的に私に触れる。春なんて終わればいい、と思って夕方の校庭を窓から眺めていた。
それでも、ある日、掃除をしていたら、窓の向こうが夏だったことに気づいた。君を待って、放課後のクラスに居残っていたけれど、気づいたら、夏だった。いつの間に春が終わったかなんて気づけずに。あんなに君を待っている時間は長かったのに、こんなにもあっさり夏が来てしまったことに驚きを隠せずにいた。
それから先、毎日は二倍速の速さで過ぎ去っていった。たわいの無いおしゃべりも、校長先生のつまんない話も、一人ぼっちの塾も全部二倍速。変わっていくのが怖かったって言ったら一番わかりやすい?でもそれだけじゃしっくりこないよね。知ってる。ただ、あれから毎日、毎月、毎年、だんだんと時間が、一生体感速度が速くなっていくんだ。
特に何も素晴らしいことを成し遂げていない私の極々平凡な、いや、それどころか、最低限の成長過程すらまともに踏破出来ていない人生はこのまま気づいたら終わってしまっているのではないかと思ってしまう。だって、そうなんだ。気づいたら、中学を卒業していた。春は過ぎ去り、夏は死に、秋は姿も見せず、冬が訪れる。こんなにも寂しいことがあるのか。
私、まだ、あの子の隣でバカやっていた気がするんだけれど、あれはもう、二年も前のこと?一生永遠14歳でいいよ、もう。大人にはならなくていい、なんて言うと陳腐だと思うだろうけれど、ほんとなんだこれ。胸を焦がす焦燥感は恋だけでいいよ。なんて言っても恋なんてしてないのだけれど。
世界五分前仮説があったって私は何度でも思うのだろう、このまんまでいいよ、って。まぁ、そういう風に創られるってだけの話だ。
世界が、速く過ぎ去る恐怖は何にも変え難い。自分の中身はまだまだ、あの時間軸には追いついていない、まだもう少し、このままで止まっていたい。
と、言うか、時代の流れも早すぎると思うの。
更新されるスピードが瞬間で信じられないことばかりだ。目まぐるしく変わる世界は息苦しいね。もうちょい、閉じた世界に居させて。

ノアの箱舟に乗り遅れたらどうすればいい

唐突に一人暮らしがしたくなって、賃貸をつらつらとみる遊びをしていた。賃貸は安い順に見ていくと到底人間など暮らせないのではないか、と思えるボロアパートとかが出てきてかなり面白い。窓ガラスがすりガラスだったり、エアコンが縦長い壁にひっついてるやつだったりするとそれだけでノスタルジック。生活臭とかそんなものは突き抜けて、ただただ時が静かに積み重なっている。なんかのバリアってあるよね。そういう空間って。
建物のはなしばかりしてしまうけど結局は人間が好きで、人間が暮らす空間にも愛着を持ちたがるだけなのだ。
安い賃貸はせいぜい6畳一間が限度だったりして、私が頑張ってお金を出せるのも、今ならきっと、そこが限度だったりする。ちなみに今、いる部屋が6畳の広さで、これが私の世界になるのかと思うと恐怖。何をどこに配置しようとかつらつら考えていたけれど、そも、物が入らない気がしてそれも恐怖。
物を持たないで暮らせる人の精神が分からない。時々ファッション誌とかで、持ってるものが机とお茶碗だけの広々とした空間に住んでる人とかを見ると、感性を疑う云々より、もはや狂気を感じる。気が狂いそう。私はどちらかと言うと物もちの方で、貧乏性なんで捨てられないんだ、なんて言ってヘラっと笑ってごまかすタイプなのだが、だってそうでしょ。
小学校の頃、別に仲良くも、悪くもなかった、単純に言えば付き合いのほとんどなかった子にどうして貰ったのかも分からない鉛筆とか、捨てられなくない?一番仲の良かった子が落書きを書いてよこした裏紙とか、飛行場に見学に行った時に貰った使い道のないしょぼいキーホルダーとか。
そういう、記憶の破片をいつまでも取っておきたい。時々、思い出したようにその引き出しを開けてひらすら自己満足に浸る時間が欲しいのだ。時々、物からビビッと記憶や忘れていた思い出が伝えられる事があって、その瞬間に出会いたいからいつまでも未練たらしく何でも取ってある。
でも、それは、物を持たない人たちにとっては狂気に映るのかもしれない。記憶とかそんな生のものが色濃く、まるで自分の分身のようにいつまでも狭い引き出しの中にみっちりと詰まっているのだから、そんなパンドラの箱を開ける気にはなれないのかも知れない。下手したら自滅しかねないよね。
まぁ、割り切れる強さがないからいつまでも過去を振り返りたがっているだけなのだけれど。
それでもいつかはそれを捨てなくてはいけない日が来るのだ。それは私も誰かもみんな知ってる自明の理。だって人は自分の一生分の荷物を抱えたまま生きてはいけないから。過去は過去として、要約して、翻訳して、圧縮濃縮すべて施して自分の中に収めないといけないから。まだ、私はその作業が怖くてできない。それが踏み出せないから、傷つかないように、思い出の道具を使って、現実から目をそらしている。
物を捨てるだけの強さはないが、いつまでも持っていられる甲斐性なども存在しえない。
そろそろ荷物は多くなってきた。
今度私が手に入れるべきものは思い出や記憶じゃなくて、離別する強さだ。

前方不注意、ここから先は自由です、どうぞ

自主性という名のもとに成り立った強制労働が大嫌いである。多分、もちろんのこと、殆どの人が嫌いであろうけれど。
好きなことやっていいんだよ、って言いつつも暗黙のルールがあって、そのレールからは絶対外れてはいけない、無言の圧力。そういうのあると何をしていいのか本当にわからなくなる。いや、多分、絶対外れない王道を行けばいいのだろうけれど、それ、きっと、バカにされるっていうか、絶対誰かやるじゃん、私よりもクオリティ高くして。勝てっこないよね、それは。
あと、単純に王道はプライドが許さない。狭い了見で生きてるね。寂しいものの考え方です。しょうがない。
昔の話だけど、中学の頃、家庭科の授業があって、休み時間にクラスメイトが先生の磁石を使って遊んでたのがバレたんです。しかもたちのわるいことに、彼女達、それ、無くしたんだよね。それを内緒にしてこっそり隠してたの。当時の家庭科の先生はヒステリー入ってるので有名で、そりゃまぁ、当然のごとくキレたんです。
その磁石を探し出すまで私は授業しません
って豪語して、テスト前、範囲も終わってないのに授業が中断されて、私は、しょうがない、自習か、と思ってプリント開いていたら、遊んでた子は当然として、それ以外の子もガタガタと立ち上がって探し始めたんです。
正直、その時は本気で理解出来なかった。
一応弁解させてもらうと、そう言うのも、その先生の話が、聞くに値するとは思っていなかったからであって、多分、自習でもそうじゃなくても同じだろうと私は、考えていた。まぁ、他にそう考えていた人がどれだけいたかは知らないけど、多分、一定数はいたでしよ?
現に私の後ろの席だった、声が低い女の子は、別に私らが探さなくたっていいよね、って耳打ちしてきたのだし。
それでも半数以上はオロオロと机の下や床を探し回っていたし、その姿をなんだか、惨めだと思った私がいたのも事実。
でも、あれが初めて自主性という名のもとに成り立った強制労働に逆らった日だったのだろう。その前にも何度か無意識のうちに逆らう機会はあったのだけれど、それは、無かったことになっていた。
しかし、だからといって、今、逆らい続けているのかと言うと、そんな事はさらさらなくて、あの時感じた居心地の悪さに苛まれて、みんなと同じようにオロオロと床を這い回っている。
所詮、そんなもんです。
一人ぼっちでクーデター起こす程私は強くなかった、それだけ。

それでも、あの時、クラスメイトを見ながら感じた優越感は今でも覚えている。マイノリティ故の孤独に浸っていたのだ。
寂しいものの考え方です。